私は以前、東京の撮影会社に勤めており、
沢山の素晴らしいカメラマンの方々の撮影アシスタント経験をさせて頂きました。
その会社を2010年に退社してから12年が経ちました。
昨日、大切な存在であったカメラマン師匠が一人、旅立たれたという連絡を頂きました。
私が、撮影アシスタント3年目の時に出会った師匠です。
年齢的にも、少し早い旅立ち…
60歳でした。私の父が亡くなった年齢よりも早いです。
とても、ショックが大きいです。
彼の職場内で数年前に、師匠がカメラマンポジションから別な部署へ移ったとご本人から聞いていたので、その時点で、ガチなカメラマン人生にピリオドを打ち、本人も納得して、割り切って、新たな環境で働くということを、陰ながら応援していたつもりでした。
私は沢山の素晴らしいカメラマン皆様の影響を受けています。そのなかでも、彼は印象的で、大きな存在でした。
カメラマンの仕事は、カメラを扱ってシャッターを押すだけではありません。
撮影に関わる全般において、頭を働かせ、器用さも備えていなければなりません。
師匠は、とても手先が器用な方で、アシスタントの行動ひとつひとつに厳しい方でした。
厳しい方でしたが、意外なところで優しく、おちゃめな顔や会話をして、時間があれば丁寧に、きちんと教えてくれる方でした。
頭が良かったのも印象的な師匠。
私とは真逆で、理数系が得意な師匠。
撮影セッティングでは、時たま数式を書いていたのが印象的です。
カメラの扱い方はもちろん、道具の使い方がとても上手だった師匠。
ものの片付け方や置き方、しまい方、撮影商品の扱い方…たくさん教えてもらいました。
彼の撮影道具箱から、切れないハサミは出てきません。
使いづらい道具は出てきません。
どれも使いやすい、完璧なコンディションの道具ばかり。
社内で共有の撮影機材で悲鳴を上げている機材は、
絶対にそのままに放置しません。
ダメージが大きいまま放置されている機材を見かけると、目が鋭くなって怖い師匠。
撮影専門のテープ類の使い分け、機材のセッティングの仕方、機材の扱い方…たくさん教わりました。
撮影では、きちんと、的確なカメラの構えは勿論、商品と水が絡んだシズル撮影が印象的です。
ガチガチに加工を加えず、レタッチに頼りすぎず、シンプルに、とろん…と綺麗に商品ありきなシズルを捉えるカメラマン。
時にはデジタルオペレーターとして安定の進行をする師匠。
時代に従い、大人しく業務遂行する師匠。
時には撮影関係者(身内)に対して、
鋭い目で立ち向かう師匠。
師匠に腹がたって、互いに鉄の塊のオモリ(カウンターウェイト)をスタジオ内で投げ合ったこともありました。その時は、隣のスタジオにいる社長に、私も師匠も怒られました笑
師匠と共に過ごした一日、一日が、印象的すぎます。。。
時代というのは悲しいもので
会社という組織の中では、優秀なカメラマンみんながみんな、ずっとシャッターをきって生きていけるとは保証されないのが現実です。
私も、そのうちその時が来るのは分かっています。分かっているから、今を全力で頑張り、後世に伝える。また、今の私の仕事のやりかたをなるべく後世に見てもらえるようにしています。
私が後世に伝えるものは、
私自身から生まれたものだけではなくて、
師匠達から受け継がれたものです。
間違いありません。
大切な師匠が旅立ちました。
けれど、師匠と過ごした日々の記憶は消えません。
厳しい撮影の環境で、
女である私がアシスタントについて
どう扱うか、う〜ん、、、、なんて最初は気にされたかもしれませんが、
結局ガツンガツン叱ったり、思うことを遠慮なく言葉で発してくれたり、撮影となると誰に対しても平等に、私に対しても厳しく接してくれた師匠。
感謝しきれません。
私の中には、師匠がいます。
『有難う御座いました』では済みません。
生きるものに死は当たり前なこと。
悲しむのは今日までにして、
悲しみすぎず、師匠と出会って共に過ごした日々を、感謝して生きます。